白血病を患いながら、野球界に復帰しようとしている真弓竜一さんという野球選手がいます。
真弓竜一さんが白血病になっても野球を続けたいという思いを知り、ペトロフという一人のサッカー選手のことを思い出しました。
ペトロフ選手は、急性骨髄性白血病と診断され、一度は現役を退きながらもアマチュアで復帰を果たしています。
今回は、野球とサッカーという違いはありますが、病気になっても選手として続けていこうとする理由は何なのか?ということについて考えてみました。
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真弓竜一さんについて
真弓竜一さんは、三重県立四日市工業高校の出身で、現在は社会人野球の王子製紙に所属しています。
長打力がある右打者で、社会人野球2年目からは、王子製紙のレギュラーとして活躍していました。
ところが、2013年に白血病になってしまいましたが、妹から骨髄移植を受けて、病気はほぼ治ったそうです。
しかし、今度は、特発性大腿骨頭壊死症という難病になってしまい、松葉つえを使わないと生活もできない状態のようです。
特発性大腿骨頭壊死症は、ステロイド剤の服用が原因ともされているので、白血病の治療の後遺症なのかもしれません。
真弓竜一さんは、今のような状態になっても野球を続けたいという思いがあって、復帰に向けて頑張っています。
病気でものすごいハンデを背負ってしまうことになってしまったわけですが、真弓竜一さんの姿勢にはすごいとしかいいようがありません。
もう仕方がない、野球はあきらめてようということになってもおかしくはないし、もしそうなっても責めるひとは誰もいないと思います。
でも、野球を続けようとする理由は、何なのか?
真弓竜一さんは、ご自身のfaebookに書かれていたのを読んで、病気と闘っている人に勇気を与えようという強い意思を感じることができました。
やはり、「誰かのために」という理由があり、その思いが強いから、真弓竜一さんは復帰を目指して頑張ることができるのだろうと思いました。
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ペトロフ選手について
ペトロフ選手は、ブルガリア出身で、イングランドプレミアリーグのアストン・ヴィラでプレーしていました。
かつては、スコットランドのセルティックにも所属していたことがあり、横浜FMの中村俊輔選手とは元チームメイトでした。
ペトロフ選手は、2012年に急性骨髄性白血病と診断されました。
治療によりペトロフ選手は回復に向かったものの、プレミアリーグに復帰することはできずに、2013年5月に現役引退しました。
アストン・ヴィラのホームスタジアム、ヴィラパークでは、試合が始まって19分になると、ペトロフ選手に対して励ましましや応援をしようとするサポーターの姿がありました。
ペトロフ選手は、背番号19番を付けていたので、19分に合わせてサポーターたちが示したペトロフ選手を思う姿でした。
みんな立ち上がってペトロフ選手に拍手を送るという感動的な光景は、今でも忘れることができません。
プレミアリーグには復帰できなかったけれど、ペトロフ選手は、2014年10月にアマチュアとして現役復帰していました。
ペトロフ選手は、病気を乗り越えてサッカーができた喜びを語っていて、サッカーができないのは寂しいというコメントが印象的でした。
ペトロフ選手は、本当にfootballを愛していたんだと思いました。
アマチュアでも現役復帰したのは、応援してくれたアストン・ヴィラのサポーターや支えたくれた人たちに、感謝を伝えたいという思いもあったのではないでしょうか?
ペトロフ選手は、アマチュアでのプレーは4試合だけだったようですが、2015年3月にアストン・ヴィラのスタッフになって現場に復帰していました。
二人から感じられるもの
真弓竜一さんもペトロフ選手も白血病は治っていますが、その後の治療が大変だということが分かりました。
正直、現役復帰にこだわらなければ、もっと楽になっていたのかもしれないと思いました。
ただ、二人に共通していると感じたのは、野球やサッカーを心の底から愛しているということでした。
だから、今自分ができることで、いろんな人を勇気づけようとする思いがそこにはあるのだろうと思います。
ペトロフ選手は、アマチュアですが現役復帰できたし、真弓竜一さんも復帰できるでしょう。
真弓竜一さんのことを知って、ペトロフ選手のことを思い出すことができ、今は現場にも復帰できることが分かったのも良かったです。
きっと、真弓竜一さんの思いは伝わっているはずです。
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